加盟店交流 弘前と青森のメニコン・メルス・プラン加盟店の交流です。弘前市アイコンでねぶた祭

加盟店交流 弘前と青森のメニコン・メルス・プラン加盟店の交流です。 遠交近攻戦略は、メルスプラン加盟店にとっては、ぴったりの戦略です。 青森・盛岡 (1)  

加盟店交流 弘前と青森のメニコン・メルス・プラン加盟店の交流です。

遠交近攻戦略に乗っ取って、 青森県の弘前市と青森市のメルス加盟店とメニコン直営店の2ヶ所

の視察をしてきます。

この時期、東北地方は夏祭りが集中していて、伊丹空港から青森空港までの飛行機は、

予約はとれませんでした。

とれたのは、三沢空港へのJAL便です。

伊丹空港から、12:00発の三沢行きに乗ります。

メニコンの菊川紀幸さんと一緒です。

菊川紀幸さんは、以前に青森・岩手地区を担当していた経験があります。

菊川紀幸さんがいれば、東北ナビは心配ありません。

大阪空港(伊丹空港)に来るのは、久しぶりです。

以前は、ここから東南アジアの各国へ飛び立つ国際便が発着していました。

三沢行きの飛行機は、12時ちょうどの出発予定です。

出発までの時間、菊川紀幸さんと、松葉博雄と奥さんの3人で、昼食を頂きました。

青森県を訪れるのは、今回が初めてです。

これまで青森県とはご縁がありませんでした。

それが、メルスプランがご縁となり、加盟店同士の交流が始まりました。

これが、戦国時代、魏の范雎が唱えた天下征服の策略で、

秦の昭襄王が採用した戦略で言う『遠交近攻』です。

私達は、近隣の企業間競争にさらされています。

特に、低価格競争に陥っています。

これを回避出来るのは、定額会員制のメルスプランです。

メルスプランの加盟店同士は、お互いに協力し合って、

会員へのサービスを補完し合う事が出来ています。

メルスプランの会員であれば、加入元が弘前であっても、青森であっても、

神戸であれば、さんプラザコンタクトレンズで、

メルス会員としてのサービスを受けることができます。

これが、近隣の価格競争を仕掛けてくる、

競争企業と戦い、遠くのメルス加盟店同士が補完し合って助け合う、遠交近攻戦略です。

大阪空港から三沢空港まで、飛行時間は1時間35分です。

しかし、飛行機のことなので、こんなに予定通りにはいきません。

三沢空港の近くに近づくと、神戸空港から沖縄空港に行く時に見える景色とは、

かなり違っていることが分かります。

なだらかな丘陵が続き、森が何カ所かに固まって続いています。

なるほど、これが青い森が集まっている、青森県かと納得しました。

三沢空港は、基地のある空港です。

空港ロビーにも軍用機の模型が展示されていました。

三沢空港から弘前市に向かって、陸路で南下していきます。

まずはタクシーで三沢空港から、三沢駅に向かいます。

三沢空港は、こじんまりとした空港です。

こじんまりとしていても、三沢空港には特徴があります。

三沢空港は、在日米軍・航空自衛隊、そして民間航空の三者が共同使用する共用空港なのです。

利用したタクシー会社は、三八五交通株式会社で、運転手さんは荒岡孝治さんです。

なかなかサービスが良いなと思いました。

青い森鉄道 みさわ駅に到着です。

8月の初旬であれば、東北であろうと、神戸であろうと、

午後2時頃の気温は30度を超えて、じりじりと太陽が照りつける酷暑です。

飛行機から見た、三沢周辺の光景は、森の豊かな、自然の豊かな、

訪れてみたい地域に見えました。

このまま、次の場所に移動するのは、勿体ない限りです。

現実は、そうも言っていられません。青い森鉄道の発車時間がせまっているのです。

2014年8月3日(日)

加盟店交流 弘前と青森のメニコン・メルス・プラン加盟店の交流です。 弘前に来れば、見えてくるのは、津軽富士とよばれる岩木山です。 青森・盛岡 (2)

青い森鉄道で、三沢から青森に向かう予定です。

ところがついさっき、青森行きは発車してしまいました。

乗り遅れたのは、JAL三沢行き便が延着したからです。

JALを恨むわけもいかず、これから、一時間以上も、ここで待っている訳にもいかず、

ここは思案のしどころです。

最初に1800円で、三沢から青森までの切符を買っていました。

これをキャンセルして、八戸行きに変えてもらい、八戸から東北新幹線を利用して、青森へ向かう方法に変更です。

青い森鉄道の職員さんの対応は、東北地方のスローな生活になれた様子が伝わってきます。

メニコンの菊川紀幸さんが、イライラしながら青い森鉄道の切符の切替をしている時、

松葉博雄は付近の写真を撮っています。

電車に乗り遅れた結果、青い森鉄道で、八戸からは青森まで行くつもりが、

一旦八戸まで出て、八戸から東北新幹線で、新青森に行くことになりました。

今回の青森訪問は、菊川紀幸さんにスケジュールを仕切ってもらっているので、

松葉博雄は各都市の位置関係があまり分かっていませんでした。

地図で確かめると、三沢空港は、太平洋側にあることが確認できました。

三沢から八戸までは、570円の運賃なので、そんなに距離は長くないことが分かります。

電車に乗ってみると、両側のガラス窓は、手動で開けることができます。

窓を開けて、外からの風を入れると、心地よい風が入ってきました。

八戸で東北新幹線に乗り換えです。

駅の広場には、八戸の物産が売られていました。

あれも買いたい、これも買いたいと、

奥さんに相談すると、ほとんどが、それはある。あれもある。で、却下です。

珍しい物をどんどん買っていき、いっぱいになったら、その都度宅急便で神戸に送れば、

しばらくはビールのアテに困ることはないと思ってみても、なかなか購入の賛同は得られませ

ん。

駅のポスターを見ると、立派な鎧甲のポスターが目に付きました。

「白糸威褄取鎧 兜、大袖付(しろいとおどしつまどりよろいかぶと、おおそでつき)」昭和28

年に国宝に指定された、南部信光公の鎧です。

三内丸山遺跡から出土されたという、国宝合掌土偶のレプリカが展示されています。

八戸から新青森へは、はやぶさで向かいます。料金は4050円です。

広場には、八戸三社大祭に使われる山車が飾られていました。

八戸三社大祭は、毎年7月31日から8月4日に開催されます。

およそ290年の歴史があるお祭りで、国の重要無形民俗文化財に指定されているそうです。

夏の、照りつけるような太陽の下に咲いている、ひまわりの花が目を惹きます。

夏になると、東北も関西地区も、暑さはみんな一緒です。

向こうの方に、エアコンの整った待ち合いスペースがあります。

その先は、東北新幹線のレールが階下に見えます。

待合所で暫く涼んで、周りの人達の話し声を聞いてみると、

やはりここは東北だということが伝わってきます。なんとなく、ずうずう弁です。

新幹線はやぶさ19号で、新青森に向かいます。

およそ1時間くらいの乗車時間です。

窓が開かない新幹線は、滑るように新青森に向かっています。

空は青空で、所々うっすらと雲が見えます。

新青森に着くと、ここからタクシーに乗り換えて、今日の目的地の、弘前に向かいます。

新青森駅では、顧客サービスの為に、JRが記念撮影を用意してくれていました。

ねぶたの跳人(はねと)の衣装を着た人たちと、記念撮影です。

新青森駅は、ねぶた祭りの観光客で、大変な賑わいです。

普段はこんなに沢山の乗降客はいないそうですが、夏祭りは特別です。

駅の外に出ると、広場に青森ヒバ、正式名は「ヒノキアスナロ」の木が植えられていました。

ヒノキは花粉症には嫌な樹木ですが、この青森ヒバに含まれる「ヒノキチオール」という成分

は、近年、化粧品などで、肌に良い成分として知られてきています。

JR新青森から、タクシーで弘前へ向かいます。

タクシーの運転手さんは、個人タクシーの、工藤忠志さんです。

青森駅、新青森駅、青森空港の、入構認定・優良乗務員に認定されたドライバーさんです。

次の乗り換えは、レンタカーです。

トヨタレンタカーに行き、車を借りて、アイコンの荒木一敏社長のところへ行きます。

青森市内は跳人の人達が、忙しく動き回っています。

青森市内の賑わいをよそに、弘前に向かっています。

少しずつ予定より時間が遅れています。

弘前では、荒木一敏社長が、松葉さん遅いなぁと、気をもんでおられるのではないかと、

案じられます。

青森から高速道路を走り、黒石市のインターで降ります。

ここから地道を通って、弘前に向かいます。

向こうの方に、かすかに岩木山が見えてきました。

岩木山は富士山のように、裾野が広がる美しい円錐形の山です。

弘前で、岩木山の事を津軽富士と呼ばれるのも納得出来ます。

少しずつ、少しずつ、ゆっくりと、着実に弘前市が近づいてきています。

神戸から数えて、いくら乗り換えをしたでしょうか。

随分と遠くに来た感じがします。

2014年8月3日(日)

加盟店交流 弘前と青森のメニコン・メルス・プラン加盟店の交流です。どこかでお会いしましたね?とすずめのお宿の女将に言われて。弘前の夏の夜には、冬雪に閉じ込められて蓄積したエネルギーが爆発する、ねぷた祭りがあります。 青森・盛岡 (3)

どこかでお会いしましたね?とすずめのお宿の女将に言われて。

弘前の夏の夜です。

ホテルハイパーヒルズ弘前にチェックインの後、土手町にあるアイコンに向かいます。

土手町のアイコン前では、荒木一敏社長さんが、手を振って、

私達が来るのを待っていてくれました。

荒木一敏社長と一緒に車に乗って、中央弘前駅から200mぐらいのところにある、 

「すずめのお宿」で夕食を頂きます。

荒木一敏社長は、松葉博雄が浴衣姿で現れたので、驚いています。

これでは、どちらが土地の人やら、どちらが訪問者やら、立場が逆転しています。

外見からして美味しそうな店です。きっと、和食の素晴らしい味が待っていると思います。

食通の荒木一敏社長のご推薦のお店なので、わくわくしながら、お店に入っていきます。

塀の内側には、小さな庭があり、庭には打ち水が打たれ、涼を誘っています。

暖簾をくぐり、すずめのお宿の内側に入っていくと、

正面に小さな生け花が生けられています。上品な演出です。

一番奥のお座敷に案内され、ぞうりを抜いでお座敷にあがり、しばらく歓談していると、

女将さんが出てこられました。

女将さんは、松葉博雄を見るなり、「どこかでお会いしましたね?どこでしたかねぇ?」と、

何かを思い出すような仕草です。

お久しぶりです。その節はお世話になりました。またお会いできて嬉しいです。

松葉博雄も調子を合わせて、「お久しぶりです。その節はお世話になりました。またお会いでき

て嬉しいです。」と、二人で会話をしていると、

アイコンの荒木一敏社長は、「そんなわけないでしょう、ねぇ?今日初めてですよねぇ?」と、

調子が崩れてしまいました。

オーダーは、荒木一敏社長におまかせです。

最初は生ビールで乾杯から始まります。

荒木一敏社長が、持ち込んだお酒は、大吟醸豊盃です。

普通、料理屋さんにお酒を持ち込むことは御法度です。

それを許す、すずめのお宿と、荒木一敏社長との親しさが伝わってきます。

シジミの味噌汁です。これが正直めちゃくちゃ美味しいお味噌汁でした。

シジミの味噌汁は、肝臓によいと言われています。

こんなに美味しいシジミの味噌汁を飲めば、お酒は進みます。

次に出たのは採れたてのウニです。まだ生きて動いています。

外側の殻の針が、微妙に揺れて動いています。

スプーンですくって頂いてみると、すこし塩気のあるしょっぱさと、

ウニの持っている甘みが口の中にとろけてきます。

お刺身は、あの大間のマグロです。よく見れば、脂ののった大トロです。

大トロなら、少しだけでも十分です。

弘前と大間は距離が近くて、弘前に来れば、ひょっとして大間のマグロが頂けるかもと、

かすかな期待がドリーム・カム・トゥルーになりました。

荒木一敏社長と、メルスの加盟店同士の交流が出来て、以前では考えられなかった、

遠く離れたコンタクトレンズ店のオーナー同士が、

こうして交流出来る事が、まさしく遠交近攻です。

すずめのお宿の味付けは、とても上品な味付けです。

これはきっと、下味に多くの出汁を使っているから出来ている味付けだと感じます。

今夜の最大のご馳走は、とても大きなサイズのアワビです。

このアワビの肝でソースを作り、アワビの上からかけています。

そのソースは、パンを使って、ソースをパンに吸収させて頂く様に工夫されています。

今夜の大吟醸酒豊盃は、冷酒で頂いています。

お米の削り具合は60%削っています。そのため、お米の匂いが、ほとんどしません。

とても飲みやすいお酒です。

氷で冷やしたグラスには、ジュンサイが入っています。

ジュンサイのつるっとしたのどごしがたまりません。

松葉博雄は、パンを頂きませんが、メニコンの菊川紀幸さんは、

パンにアワビのソースをつけて、アワビを堪能しています。

向こうの方に、オーナーの料理長が控えていて、こちらの会話を聞いているのか、

時々は厨房から相づちをうっています。

今日は、こんなに大きなアワビが入ったので、これをメイン料理にしたそうです。

弘前は、雪の積もる町です。

冬になると、楽しみは夜の晩酌で、体を温めながら、

皆で集まっておしゃべりをすることです。

その時に、美味しいお酒と、美味しい料理、

そして楽しい仲間が必要になってきます。

そこで仲間作りがあり、美味しいお店探しがあり、

美味しいお酒作りの文化が育ってきています。

弘前の雪は、11月下旬頃には初雪が降り始め、

その後、2月に本格的な寒さと積雪がやってきて、3月頃まで続きます。

今夜のねぷた祭りは、長い冬に圧縮された、エネルギーが真夏に爆発する、

そんなエネルギーのお祭りです。

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2014年8月3日(日)

加盟店交流 弘前と青森のメニコン・メルス・プラン加盟店の交流です。初めてのねぷた祭りです。弘前と青森では、ねぷたとねぶたの違いがあります。 青森・盛岡(4)

初めてのねぷた祭りを観るために、すずめのお宿で美味しい和食をいただいた後は、

タクシーをお願いして、アイコンの荒木一敏社長と一緒に、ねぷた祭りの会場となる、土手町商店街に戻ります。

アイコンのお店は、土手町商店街に面していて、ねぷた祭りの行列が、

お店の前を右手から左手に、次から次へとパレードのように、山車が移動します。

アイコンさんでは、毎年このねぷた祭りの時には、お店の前に接待所を設け、

多くのお客様に、軽食や、お酒やワイン、ビールなどで、おもてなしをされるそうです。

ねぷた祭りの時は、ビジネスは、早じまいです。

お祭りに押されて、商売が後ろに隠れてしまいます。

辺りが暗くなって、雰囲気が出てきました。

いよいよねぷた祭の鑑賞です。ねぷた祭は、毎年曜日に関係なく、8/1~8/7に開催されているようです。

その地域の町内会や、有志、ねぷた愛好会、医師会などが、

団体ごとにねぷたを運行して、弘前市内を練り歩きます。

青森は「ねぶた」で、弘前は「ねぷた」と、それぞれ呼び分けているようです。

なぜ、このように呼び分けているのでしょうか?

ねぶた、と、ねぷたの起源は、元を辿れば同じ「眠り流し」です。

「眠り流し」は、昔の人の、農作業の辛さからくる眠気や、災厄を水に流すという意味で、

「眠り流し」→「ねむた流し」→「ねぷた流し」と訛ったのが、「ねぶた(ねぷた)」になった

と言われています。

初めて観る、ねぷた祭りの行列は、太鼓の音も勇ましく、

衣装も普段見られない、目を引くような衣装です。

踊りがあるのかと思うと、行列には踊りはありませんでした。

アイコンさんは、ねぷた祭りのために、お客様に配っているアイコンのうちわがありました。

青森のねぶたは、とても大きな山車燈籠を大人数で踊りながら引く、

ダイナミックな動きが魅力の祭りです。

一方、今回観覧に来た、弘前のねぷたは、扇形の山車燈籠に描かれた芸術的な武者絵を、

ゆっくりと見せながら練り歩く、雰囲気のある祭りです。

夏の夜空に、美しい燈籠の絵が浮かび上がります。

このねぷたは、毎年一回限りの使用で、祭りが終わると、

絵が描かれた和紙の部分は剥がされ、骨組みだけになります。

もったいないですが、次の年は次の年で、

毎年違う絵を描いて、団体毎に競うことになるそうです。

正面の絵は「鏡絵」、後ろの部分は「見送り絵」といいます。絵柄の傾向を見ていると、

題材は、三国志が多くありました。

特に、関羽の名前がよく出てきます。

ただし、関羽の表記は、漢雲と書かれていました。

大きな太鼓で、ねぷたのリズムを叩いています。

ねぷたのかけ声は、「ヤーヤドー」と言いますが、

これは、「さっさと(早く)進め!」と、前の団体を急かす、方言言葉です。

鏡絵に描かれるのは、三国志以外では、同じく中国の歴史に登場する水滸伝や、

日本では、征夷大将軍の坂上田村麿の蝦夷征伐などのモチーフが、

よく好んで描かれているそうです。

少し珍しい、凧絵をカルタ状にちりばめた柄の絵です。

ねぷたの後ろの部分と、その真ん中の送り絵に描く絵は、鏡絵と違って、

各団体で、ふざけたり、おどろおどろしくしたり、

多少羽目を外した絵を描いてもいいという、暗黙の了解があるようです。

解説を聞くと、弘前のねぷたは、平面的な扇形で、青森のねぶたは、立体的な3D型です。

青森では、跳人(はねと)と言われ、行列の人達は、足を跳ねて踊って歩きます。

ここに弘前と青森のねぷた祭りの違いがあり、

まずは名前そのものが「ねぷた」と「ねぶた」、

山車の形が「平面」と「立体」、踊り子が歩くだけと、

足を蹴って踊る違いがあります。

いずれもうちが本家、ここから始まっている、あちらが真似していると、

本家・元祖の主張の違いがありそうです。

2014年8月3日(日)

加盟店交流 弘前と青森のメニコン・メルス・プラン加盟店の交流です。弘前城は、来年から、改修工事が始まります。桜が終わると、弘前城は、改修工事が始まります。 青森・盛岡 (5)

弘前城で、沖縄の友人、片山正喜さんと、ご一緒する日です。

ねぷた祭りを楽しんで、しっかりお酒を飲んだので、昨夜は、ホテルに帰ると、

バタンキューで寝てしまいました。 

青森2日目の朝です。朝食は、ホテルで頂きます。

もし、希望通りに、飛行機の切符と、ホテルの予約がとれていたら、

青森市に泊まる予定でした。

ねぷた祭りの頃は、飛行機も、ホテルも、どこも予約がいっぱいで、

この時期は、なかなか希望通りにはいきません。

ホテルハイパーヒルズ弘前をチェックアウトします。

ホテルで、沖縄の友人、片山正喜さんと、お会いする約束が出来ています。

片山正喜さんは、5月から沖縄を離れ、東北地方や、北海道地方を、

90ccのバイクで移動中です。

片山正喜さんは、ちょうど今、弘前に滞在中なので、連絡を取り合って、

短い時間ですが、ご一緒することが出来ました。

片山正喜さんと一緒に、弘前城の見学に行きます。

駐車場のおじさんは、弘前城の真ん前に、広い駐車場を持っていて、

これもご先祖様のお陰ですと、ここに駐車場がある経緯を、丁寧に教えてくれました。

駐車料金は時間制でなく、一回500円です。24時間停めてもいいそうです。

弘前城を観て、最初に感じたのは、桜の木が多いことです。

これだけの桜並木なら、来年のさくらの頃には、ぜひ来てみたいなあと思いました。

弘前城は、弘前城本丸東面の石垣を修理するため、

天守を約70m本丸の内側へと曳屋する工事を、平成27年に実施します。

そのため、平成27年の春以降は、天守閣が現在の位置から見られなくなるそうです。

青森県護国神社に来ました。「ここは平和の杜です」という説明が書かれていました。

『このお社は 青森縣護国神社といいます。
 

青森縣護国神社は、津軽藩主津軽承昭公の思し召しにより、
 
箱館戦争の戦没者慰霊のため、明治3年に創建され、
 
明治43年3月に弘前招魂神社として現在地に移築、昭和11年8月青森縣護国神社となり、
 
昭和14年4月、一府県一社を原則とした内務大臣指定護国神社となったものです。
 

 
この神社には、幕末・明治維新以来、日清戦争・日露戦争・大東亜戦争など多くの戦いで、
 
日本の平和と美しい山河や愛する家族を護るために亡くなられた、
 
青森県出身二万九千百七十一柱の方々の御霊「英霊」が神様としてお祀りされています。
 

いま、こうして私たちが平和で豊かに暮らしていられるのは、
 
国の危機に際して尊い命を捧げられた「英霊」のおかげであることを、
 
決して忘れてはなりません。
 
青森縣護国神社にお参りし、英霊に感謝の気持ちを伝えましょう。
 
青森縣護国神社』
 

実っても、サイズの小さい、姫りんごの実がついています。

賀田御門跡の説明がありました。

『築城当初は北門が城の表玄関で、ここにあった賀田門は、

三の丸の北門として旧賀田城(岩木町大浦城)の大手門を移築したと伝えられる。

門の内外は、直進できないように折れ曲がった枡形が造られていて、堅固な備えを見せている。』

弘前城は、1603年から、弘前藩主 津軽為信公が築城したお城です。

全国で12ある天守のうち、最も北に位置する現存天守です。

津軽藩は、現在の北海道である、蝦夷地方を開拓するために、

幕府から、あれやらこれやら、幕命を受けていました。

極寒の地に、北方領土を開拓するための命令でした。それが、津軽藩士殉難事件です。

弘前城の中には、堀に水が引かれ、魚釣りをしている人もいました。

一般的には、お城の堀で魚を釣るのは、禁止されている例が多いのですが、

弘前では、皆さん自由に釣っています。

二の丸 辰巳櫓です。

これから、弘前城は、改修工事が予定されています。

そのため、本丸には、保護シートがかけられ、観られなくなります。

桜の咲く春が終わると、本丸には、保護シートがかけられるそうです。
 

なかなか広いお城です。お堀とは別に、日本式庭園があり、池には鯉が泳いでいます。
 

ここにも、二宮金次郎の銅像がありました。

 

8月には、弘前城は青葉で溢れています。

花も咲き、ミツバチも飛び、小鳥も鳴き交っています。

沖縄の友人の片山正喜さんと、まさか、弘前城でお会いすることになるとは、

昨年は予想もしていませんでした。

片山正喜さんのフェイスブックに投稿するからといって、

松葉博雄と奥さんの写真を、ここは弘前ですと、

分かる場所として、弘前城の櫓を背にして、写真を撮りました。

弘前は、冬であれば、雪に覆われる街ですが、今の8月であれば、

緑に溢れる、広い、落ち着いた街です。もっと、あちらこちらを、

時間を掛けて訪ねてみたい、魅力的な街です。

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2014年8月4日(月)